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(書籍紹介)おかんとボクの信仰継承


おすすめ本です。

一部、読んでみただけでも
プッって笑って、
ちょっと泣いちゃいました。

信仰の家庭に生まれることは、
本当に恵みだとつくづく思います。

神様というお方を教えられ、
信仰の生き方を見せてもらえ、
キリスト人として生きることの難しさの中でも
先立って道を切り開いてもらえる。

子供であるわたしは、
その背中を見、
その教えに聞き、
その後をついていけばよいのだもの。

家庭には、
学校や会社、ある意味では教会とも違う、
その中に血のつながりゆえの愛があって、
家族ならではのユーモアも存在して、
律法的で窮屈になることも、不自由で嫌になることもなく、
楽しんで自由に信仰生活を学ぶことが出来る
最高の場所ではないかと思います。




。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜。〜

  月刊「恵みの雨」(新生宣教団)で連載していた“おかんとの思い出"と、
本紙で連載している“父親になってからの日々"が一冊に。
KGK(キリスト者学生会)で多くの大学生に慕われる
大嶋主事のこれまでと今がわかる、初めてのエッセイ集。


 


恵みの雨 2009年1月号より 
キリスト者学生会(KGK)主事 大嶋重徳さんのページより


「おかんの経済学」

おかんはボクに「うちは貧乏なんやで」と教え込んで来た。
だからボクは「わがままは言ってはいけない」と幼い頃から心に刻み
スーパーで駄々をこねている子供をみると「親のことをちょっとは考えろ」と冷ややかに見下していた。


確かにわが家は父親が作っている家庭菜園でかぼちゃが取れたら夕食はかぼちゃの煮付けとかぼちゃのみそ汁、
かぼちゃの天ぷらが並ぶ。ジャガ芋の季節は肉じゃが、カレー、シチュー、
1月2月は家でついた餅を延々と食べる。
毎朝続くもち攻撃に「うちはほんまにお金がないんやなあ」と思いながら、
醤油味、バター味、きなこ味と食べ続けた…。
おかげでボクは今でも餅が嫌いだ。


ボクの幼稚園のリュックサックも姉のお古。
リュックサックの真ん中には姉の名前がデカデカと「おおしまのりこ」と書かれている。
「お母さん、姉ちゃんの名前がこんなに大きく書いてあるから嫌や」と言うと、
おかんは「大丈夫や」とにやっと笑って「のりこ」の「こ」を修正液で消して
「おおしま」と「のり」の間に「しげ」を小さく割り込ませて書き込んだ。
「どうや、これであんたのリュックになったで」と渡された。
でもこのリュックは時間がたつと修正液もはげてきて「おおしましげのりこ」と訳のわからんリュックになってしまった。
「しげのりこ」と周りから冷やかされた事は言うまでもない。


しかしおかんは決してケチであったわけではない。
神様に与えられたものを大事に使うことを大切にしていただけだ。
だからこそ使う時にはどんと使う。
家族旅行も年に一度は連れて行ってもらったし子供に良い経験だと思うことには惜しみなくお金を使ってくれた。
父親が爆睡していたクラシック音楽のコンサート、さらに美術館や時にはフランス料理も連れて行ってもらい、
本当にいいものが何かはおかんに教わった。


そして何より献金はいつも十分の一以上捧げていた。
「重徳、献金はな。けちったらあかん。お金はな、神様から預かったもんや。
お母さんは自分の給料をもらったら、最初に取り分けて直ぐに捧げるんや。
まだあったなあと思ったら自分のお金やと思って使ってしまうやろ」
だからボクはお年玉も十分の一は最初に分けておく習慣が自然についた。
「重徳、将来働いて給料もらうようになってから十分の一を捧げよう、なんて思ってたら甘いで。
中学生の時に千円もらって十分の一の百円を献金できへんかったらな、
将来二十万円もらって十分の一は絶対捧げられへんで」おかんの言うことは当たっている。
お金の使い方にその人の価値観が出る。おかんは何を第一にしているかをハッキリさせていた。


「貧乏はお金を払ってもせなあかん」とよく言っていたおかんのスピリットは
ボクが伝道者になった今、金融危機もなんのそのでたくましく生きている。
学生時代の大学生活の仕送りも周りの友達に比べると半分ぐらいだったけど、
おかげでボクは破壊的な古さと家賃700円を誇る国立大の寮に4年間住み続け、
どこでも生活するタフさと自分の手元にあるお金をどうやりくりして生活するかという知恵を身につけた。

今、ボクは決して清貧に生きているとは思わないけど
貧しいなりにも神様が「非常に良かった」(創世記)と言われた世界を
それなりに楽しんで生きることができている。
妻も同じ信仰なのが嬉しい。
先日、急に入ったお金を「今度はどこに献金する?」と
嬉しそうに目を輝かせて聞いて来た。
幸せな光景だ。



 



 

at 13:13, osakamanmin, 映画・本紹介

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comment
高木康行, 2014/05/23 3:55 AM

 題:ラスコーリニコフは・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教には・・、
 「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」
という教え・考え方がある。
 (キリスト教の)神の義という正義があればという免罪
符を得て、その義を得ていれば、人を誅する事も正義なの
だという教え・考え方である。
 非常に独善的で、勝手な教義・教えである。
 キリスト教、および、キリスト教徒には、その逆を、少
しでも考えてみなさいと言いたい。
 される身となって、される側の事を思ってみなさいと言
いたい。
 しかし、歴史は、その様なことは微塵もなかった。
 卑劣な、キリスト教側の蛮行・行為が、歴史に連綿と続
いて存在している。唾棄すべき歴史の事実だ。
 これは、『キリスト教は神を敬いながらも、神の中へ、
神の義の中へ逃げ込んでいる』と、言える。
 神を悪の権化としている。
 キリスト教の神へ『罪をなすり付けている』。
 神の義があればとか、または、神の義があるから・・と、
相手を勝手に不正義な人にして、その人を誅しても良いと
するキリスト教は、キリスト教の教義ゆえに、自分を悪だ
と考えていないし、考えられないし、その様な立場にもな
れなし、不感症な人間に洗脳され、作られて来ている。
 キリスト教の教義・考え方・教えには、この悪の教えが
あり、キリスト教は『罪悪  (つづく)
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /










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